社会・政治

香港デモの原因理由をわかりやすく簡単解説!

香港といえばビジネス街としても、夜景の美しさが有名な観光地としても人気のある都市ですが、そこで学生が主体となったデモが頻発しています。

連日、日本でもニュース映像が流れ悲惨な状況を目にしていますが、何故このようなことになってしまったのでしょうか。

香港デモの原因理由をわかりやすく簡単解説!

香港は広い中国の南端に位置する(台湾の西側720km)都市です。現在は中国の都市のひとつになっていますが、特別行政区といって政治制度など独自の法律をもつことが出来、中国の中において香港だけでの大幅な自治権を持つことが許されている地域です。

1839年(明治28年)に中国(当時は清という国)と英国との間に阿片(アヘン)戦争が起きます。終戦後、香港は英国のものとなり、英国の統治下におかれます。

太平洋戦争中は日本の統治下におかれますが、終戦後はまた英国の植民地へ戻ります。そして1997年、イギリスと中国の間で交渉がまとまり正式に中国へ返還されました。

長くイギリスの統治下にあった香港ですからイギリスの影響が大きく、社会主義国家である中国とは違った地域性があります。

教育もイギリスの制度を受け継ぎ、初等中等合計6年間の授業料は無料のようです。基本的に太平洋戦争後に設立された現在の中華人民共和国の中に位置しながら中国とは全く異なった自治体だということになります。

さて、中国に返還後、それなりに平和に過ごしてきた香港でどうして今回のような大きなデモが起きたのかというと発端は台湾で起きた殺人事件です。

香港人の男性が台湾に旅行中、交際相手の女性を殺害したことから始まります。殺害した女性の遺体を公園の茂みに隠して香港に戻った容疑者の男性は香港で殺害された女性のカードから現金を引き出します。そして香港警察に逮捕されました。

しかし、台湾で起きた殺人事件のため、香港では殺人事件の犯人としての逮捕が出来ません。台湾側は身柄引き渡しと事件関係の資料提供を求めていますが香港側は台湾警察が香港で活動する権限はないと言っているわけです。

1997年にイギリス統治下から中国へ返還されるときに設定された「逃亡犯条例」という制度があります。

中国と香港の法制度が大きく異なったため中国では公正な裁判を受けられない可能性があると考えた当時のイギリスが介入して設定した制度です。

この逃亡犯条例があるために台湾で起きた事件を香港で裁けないわけです。そこで香港当局はこの「逃亡犯条例」の改を提案したのですが、この改正案の中には台湾だけでなくマカオや中国本土も含まれています。

それで解決策として野党がこの台湾での殺人事件のみ条例を適用できるように逃亡犯条例の時限的改正を提案したようですが、政府としては時限的改正は受け入れられないということで全般的改正という流れになっているのが現状です。

一時的ではなく全般的改正となると今後、市民が政治やビジネス上の理由で中国当局へ引き渡される可能性があることが予想されます。

そうなると大変だということで抗議の声が上がり始め、これが段々大きくなっていき大規模デモへと発展していったようです。

 

きれいな街が破壊されていき怪我人も多数あり、建物もたくさん壊され見ていて本当に悲しくなります。

「話し合いで解決出来ないことはない」というのは理想論でしょうか。お隣の国でこういった悲惨な現実が起きていることを私たち日本人はどう受け止めたらいいのでしょう。

これからの香港を担っていく若い世代からすると香港の未来に危機感を感じての行動でしょうし、香港当局からすると犯罪者を野放しには出来ないという正義感からの「逃亡犯条例」改正ということになるのでしょうか。

本当に難しい問題と思います。日本は今まで近隣のアジア諸国が植民地化されていく中、幸いなことに植民地となった経験がありません。国が分断されたこともありません。

香港の問題を理解することは難しいことですがこれ以上、悲惨な状況とならないよう少しでも早い解決を願うばかりです。

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